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古墳にこーふん!

群馬県高崎市を訪ねた。全国に名だたる「古墳」を見るためである。

日本全国には、16万基もの古墳が現存し、群馬県内にはたくさんの古墳群がある。
訪れたのは「保渡田(ほどた)古墳群」。かみつけの里古墳公園内にある3つの大きな古墳、
「八幡塚(はちまんづか)古墳」「二子山古墳」「薬師塚古墳」を見ることができる。
中でも八幡塚古墳はしっかりと整備復元され、大小様々な石を積み重ねた跡から、
当時の人々が苦労しながらの大工事を想像できる。
この古墳を遠方から一目見るなり、古墳に対する考え方が変わった。
「でかい、すごい!」のである。

この古墳群は群馬県一帯を治めた豪族「上毛野(かみつけ)氏」の墓地で、
上毛野氏がいかに力を持っていたかがわかる。
群馬県は、信州や東北地方、関東南部へのアクセスが良く、交易や人々の交流が活発だった。
特に高崎市周辺は中山道沿いに位置し、物流や文化が行き交う拠点であった。
上毛野氏は地の利を生かし、大和政権の政治的、軍事的役割を果たしていた。

国内に現存する古墳の多くは、自治体によって保護されてはいるものの、
それほど手厚く祀られているといは言い難く「土を盛ったただの丘状態」になっていることも多い。
しかし、保渡田古墳群は1996年から4年をかけて保存復元整備され、各地にありがちな草ぼうぼう、
森か林かわからない状態ではない。さながら初期の階段ピラミッドのようだ。
古墳の周囲には2重の堀が巡らされ、堀の中には中島が点在する。古墳の形は「前方後円墳」で、
円形の後部と四角形の前部が連結した鍵穴の形をした墳丘で、全長100メートルの墓地である。
全長486メートルの日本一大きな古墳である「大仙陵古墳(仁徳天皇陵古墳)」もこの形である。
この形は大和朝廷にゆかりのある者だけに許された古墳の形なのだ。

円墳の中は見学可能で、時の権力者が埋葬されていた石棺が置かれている。
残念なことに盗掘を受け埋葬品は残されていないため、数々の装飾品で飾られていたことを想像するしかない。
6000基の円筒埴輪が古墳を囲むように並べられている。
これは聖域である古墳を周囲から区別する結界の意味がありレプリカではあるが、その数の多さには目を見張る。
当時の埴輪も残されているのだが、良好な状態で出土したのには理由がある。古墳時代の後期(6世紀)に、
近くの榛名山(はるなさん)が大噴火し、火砕流や火山灰で埋没してしまったのである。
この時に古墳や埴輪が火山灰によって覆われたことで、保護されたのである。
一夜にして消えた古代都市ポンペイの街の悲劇と似ている。
その後、仏教の伝来により寺院建立が権力を示す象徴となり、古墳は造られなくなっていった。

「古墳にコーフン協会」という古墳シンガー「まりこふん」さんが主宰する、
古墳に興奮する人の集まる団体があるそうだ。
穏やかな季節になったら、古代ロマンを求めて他の古墳に行ってみたいと思う。
古墳にすっかり、はまりそうな予感がする。