春さきのドライブに甲州市はいかがですか?
2025.03.04

皆さまこんにちは、貿易課の大塚でございます。早いもので2025年も3月です。世間では卒業式を迎えた学生さんを多く見かけたり、ひな祭りの催しが見えられる時期です。暖かくなる春先になりましたら東京近郊にお住まいなら山梨県の甲州市あたりへ出かられるのはいかがでしょうか?東京から甲州市までは、約110キロメートルの距離があります。車で移動する場合は、高速道路を使って約2時間程度かかります。公共交通機関を利用する場合は、新宿駅からJR中央本線の特急電車に乗り、甲府駅で乗り換えて、塩山駅まで行くことができます。所要時間は約1時間半から2時間程度です。甲州市は自然豊かな地域で、武田信玄公の菩提寺で有名な乾徳山恵林寺(えりんじ)をはじめとする観光スポットも多くあります。
さて、その乾徳山恵林寺(えりんじ)は、山梨県甲州市塩山小屋敷にある臨済宗妙心寺派の寺院です。山号は乾徳山(けんとくさん)で、元徳2年(1330)に、甲斐牧ノ庄(かいまきのしょう)の地頭職(じとうしょく:領主)をつとめていた二階堂出羽守貞藤(にかいどうでわのかみさだふじ:道号は道蘊 どううん)が、夢窓国師を招き、自邸を禅院とし創建しました。恵林寺では、武田信玄公夫妻の命日の4月12日には毎年供養が行われており、武田家家臣の墓約70基も信玄公を慕うかのように墓所後陣に並んでいます。また江戸幕府5代将軍 徳川綱吉の側用人柳沢吉保公夫妻もここで眠っておられ格式の高さを感じます。他にも恵林寺の見どころには、徳川家康公によって再建された四脚門(赤門)や、県の重要文化財に指定されている三門があります。また、境内には枯山水式の庭園が設置されて訪れたものへの癒しの場となっております。そして大変見る価値のあるものとして庫裡には風林火山の有名な書道が書かれております。これは武田信玄公の軍旗「風林火山」を意味しております。「疾如風、徐如林、侵掠如火、不動如山」という孫子の兵法の一節にてこれが「風林火山」の由来です。この軍旗は、武田信玄公が恵林寺の住職であった快川紹喜に書かせたもので、戦場で武田軍の士気を高めるために使用されました。また現在にも伝えられている快川紹喜の有名な言葉で、快川紹喜が織田信長の焼き討ちの際に発したとされる「安禅必ずしも山水を須いず、心頭を滅却すれば火も自ら涼し」という言葉が掲げられています。
話は変わりまして、武田信玄公の逸話興味深い逸話として武田信玄公は、戦国時代の武将として知られるだけでなく、下水道や水洗トイレの導入にも関心を持っていました。武田信玄公は、暗殺を恐れていたため、屋敷内に自分専用の水洗トイレを設置しました。このトイレは、敵に襲われないように広い6畳間で、床は畳敷きでした。信玄公の水洗トイレは、お風呂の残り湯を使って流すエコ仕様で、常に香炉を焚いて臭気を消していました。また、武田信玄公はトイレ内で政務や軍略を練ることもあり、長時間トイレに籠ることがあったそうです。武田信玄公のトイレに関するエピソードは、彼の清潔好きな一面や、戦国時代の厳しい環境での工夫を示しています。興味深いとうか縁をどこかに感じます。さらに面白いことは、武田信玄公は、戦国時代の武将としてだけでなく、優れたリーダーシップを発揮した上司としても知られています。彼は部下の能力を見極め、適材適所に配置することで、最大限の成果を引き出しました。武田信玄公は「渋柿は渋柿として使え」という名言を残しており、これは現代のビジネスでいう「適材適所」の考え方に通じます。また、武田信玄公は部下の心を掴むために、公正な評価と報酬を重視しました。彼は部下の働きを評価し、金貨ではなく刀や羽織などの現物を褒美として与えることで、部下のモチベーションを高めました。さらに、武田信玄公は部下に対して厳しさと優しさを兼ね備えたリーダーであり、失敗しても名誉を挽回するチャンスを与える姿勢を持っていました。武田信玄公のリーダーシップは、現代のビジネスマンにも通用する教訓が多く残されております。
さて、実際に恵林寺に行きますと面白いことに檀家の皆様も多くおられ、中にはご先祖が武田信玄公の足軽であったなどとすごいエピソードを聞くことができます。3月はお彼岸もありますので、ご先祖様に感謝も込めてぜひ甲州市、そして恵林寺に足を運ばれてみてはいかがでしょうか?また敷地内にはお土産さんもございまして、恵林寺で購入する信玄餅の味も一段と違うものと思います。
一読していただきありがとうございました。