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アウシュヴィッツ

皆さんこんにちは!!

東京営業所のYです!!

 

今回はポーランド旅行についてご紹介します(^^)/

 

ポーランドに行く話をした際、皆さんに「マイナーだね」とすごく言われたのを今でも覚えています(笑)

なぜ私がポーランドに行きたかったのか、、、

 

それは、「アウシュヴィッツ」に人生で一度行きたかったからです。

 

※ここからは少し悲しいお話・写真を載せます。

 

アウシュヴィッツ強制収容所は、第二次世界大戦中にナチス・ドイツが設置した、最大規模の強制収容所です。収容されていたのはユダヤ人で、ただ収容をするだけではなく、大量虐殺のあった場所です。

 

まず、ユダヤ人は貨物列車のようなものに乗り、アウシュヴィッツへ来ます。ぎゅうぎゅうになって乗せられ、ヨーロッパすべてのユダヤ人を輸送したため、中には何日間も乗っている人もいました。何日間も食事もとれない状況の為、列車内で亡くなる方も多くいました。

 

↑移送に使用された列車

 

アウシュヴィッツの門を通り収容所に到着をすると、なぜか2つの列に分けられます。

1つは働ける人、もう1つは老人・子供・手足が不自由な人等働けない人。

 

↑選別の写真

 

働けない人は「シャワーにいく」といわれ、持ち物には名前を欠かされ、シャワー室といわれる場所に行きます。

 

↑遺品(靴)

 

ガス室ではツィクロンBといわれる殺鼠剤を上から入れられ、もがき苦しみ、最後を迎えます。壁にはもがいた爪の後が多くあります。

 

↑ツィクロンBを入れる穴

↑使用されたツィクロンBの空き缶

 

ガス室へ誘うのも、ガス室での最後を迎えさせるのも、火葬も全てユダヤ人が行います。

今では考えられない光景です。

 

↑火葬場

 

到着後シャワー室に行かなかった働けるユダヤ人がほっとするのもつかの間。

過酷な労働、食事は少量のもの、トイレの回数も決められ、餓死や感染症でなくなる方は後を付きませんでした。

寝るベッドも木の板のみで、1つのベッドに複数の収容者で寝ていました。収容者は冬にはお互いに暖を取り合い生き延びました。

 

↑ベッド

 

何も抵抗はできないユダヤ人。少しの抵抗として今も残っているのは、『働けば自由になる(Arbeit macht frei)』と書かれている門のBが逆向きになっているのがささやかな抵抗という説もあります。

 

↑Arbeit macht frei

 

負の遺産は、過去の悲劇を記憶にとどめ、二度と同じ過ちをおかさないために非常に重要な遺産です。

 

少し気持ちには来ますが、皆さんにも一度は見てほしいと思う場所でした。

 

ちなみにポーランドは物価が安くておすすめです!!!