アウシュヴィッツ
2025.12.15
皆さんこんにちは!!
東京営業所のYです!!
今回はポーランド旅行についてご紹介します(^▽^)/
ポーランドに行く話をした際、皆さんに「マイナーだね」とすごく言われたのを今でも覚えています(笑)
なぜ私がポーランドに行きたかったのか、、、
それは、「アウシュヴィッツ」に人生で一度行きたかったからです。
※ここからは少し悲しいお話・写真を載せます。
アウシュヴィッツ強制収容所は、第二次世界大戦中にナチス・ドイツが設置した、最大規模の強制収容所です。収容されていたのはユダヤ人で、ただ収容をするだけではなく、大量虐殺のあった場所です。
まず、ユダヤ人は貨物列車のようなものに乗り、アウシュヴィッツへ来ます。ぎゅうぎゅうになって乗せられ、ヨーロッパすべてのユダヤ人を輸送したため、中には何日間も乗っている人もいました。何日間も食事もとれない状況の為、列車内で亡くなる方も多くいました。

↑移送に使用された列車
アウシュヴィッツの門を通り収容所に到着をすると、なぜか2つの列に分けられます。
1つは働ける人、もう1つは老人・子供・手足が不自由な人等働けない人。

↑選別の写真
働けない人は「シャワーにいく」といわれ、持ち物には名前を欠かされ、シャワー室といわれる場所に行きます。

↑遺品(靴)
ガス室ではツィクロンBといわれる殺鼠剤を上から入れられ、もがき苦しみ、最後を迎えます。壁にはもがいた爪の後が多くあります。

↑ツィクロンBを入れる穴

↑使用されたツィクロンBの空き缶
ガス室へ誘うのも、ガス室での最後を迎えさせるのも、火葬も全てユダヤ人が行います。
今では考えられない光景です。

↑火葬場
到着後シャワー室に行かなかった働けるユダヤ人がほっとするのもつかの間。
過酷な労働、食事は少量のもの、トイレの回数も決められ、餓死や感染症でなくなる方は後を付きませんでした。
寝るベッドも木の板のみで、1つのベッドに複数の収容者で寝ていました。収容者は冬にはお互いに暖を取り合い生き延びました。

↑ベッド
何も抵抗はできないユダヤ人。少しの抵抗として今も残っているのは、『働けば自由になる(Arbeit macht frei)』と書かれている門のBが逆向きになっているのがささやかな抵抗という説もあります。

負の遺産は、過去の悲劇を記憶にとどめ、二度と同じ過ちをおかさないために非常に重要な遺産です。
少し気持ちには来ますが、皆さんにも一度は見てほしいと思う場所でした。
ちなみにポーランドは物価が安くておすすめです!!!
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