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ロバート ザ ブルース 1274-1329

商品部貿易課のoと申します。この度は光栄にも社員だよりに一筆できる機会を与えていただき大変光栄でございます。

英国国王チャールズ3世の戴冠式に伴い玉座の石がどこにあるのか?と疑問に思い上記スコットランド王について述べささせていただくことになりましたのが今回の経緯です。

玉座の石とされるスクーンの石は元々スコットランドのスコーンという町にありましたが、イングランド王エドワード1世がスコットランドより持ち去り、1296年から現代までロンドンのウェストミンスター寺院にありました。1996年、トニー・ブレア政権によりスクーンの石は以来700年ぶりにスコットランドに返還され、石は現在、エディンバラ城に安置されています。

スクーンの石は英国王室の戴冠式の時だけ一時的にウェストミンスター寺院に戻されることになっているので、この期間だけこの石がロンドンへ移動します。

さて表題にあります、別名ロバート1世は最も偉大なスコットランド国王の一人であり、同時にその世代で最も知られた戦士の一人でもあります、遂にはイングランド王国に対する独立戦争においてスコットランドを率いることとなりました。

ロバート1世はデイヴィッド1世の血を引く者としてスコットランド王位を継承し、その統治期間中にスコットランドの地を独立国家として回復するために首尾よく戦い抜いたとされます。今日のスコットランドでは、ロバート1世は国民的英雄として記憶されていると思われます。

しかしながら数年前イギリスで公開された映画「ロバートザブルース」の初めのナレーターの言葉をお聞きになったことはありますでしょうか?「お前はウイリアムウォレスが愛されたような王にはなれない」といきなり始まります。

現在、イングランド人にはウイリアムウォレスは嫌われものです。ただし、スコットランド人には英雄として扱われております。当時スコットランドはイングランドの支配下でした。当時のスコットランドの領主たちはイングランドに迎合しいいなりでした。そのころウォレス自体はイングランドへの反乱者でした。

ある日彼の妻がイングランドの兵に殺害されます、ウォレスは復讐の鬼となりイングランドの州長官を襲い撃退しました。それを聞いたスコットランド人はウォレスを支持し続々彼のもとに集まり平民を中心に軍隊ができます。平民中心ですのでろくな武器もありませんでしたが、イングランドの重装備軍にスターリングブリッジの戦いで勝利をおさめます。

しかしながら渾名ロングシャンク,スコットへの鉄槌エドワード1世が自らウイリアムウォレスと対峙し最終的にはウォレスはつかまり、処刑されます。この時点でウォレスは英雄となりこの意志を継ぐ者はいるのか?となります。

ここよりロバートザブルースがはたして王に王になれるのか?上記にロバート1世は英雄とありますが、この時点では女子やワインに溺れるような人物で英雄ではなかったかと史実にもみられるようですが、1314年の バノックバーンの戦いでイングランド軍を破ります。ロバート1世はイングランドからのスコットランドの独立を、外交上ではなく軍事上で確かなものとしました。

小職も700年後2013年このバノックバーンを訪れました。今はこの地は見事に住居とかしておりました、国破れて山河あり城春にて草青みたりでしょうか?、小さな歴史博物館の職員と会話をしたことが良い思い出です。

そしてスコットランド独立戦争に勝利したスコットランドは、アーブロース寺院で1320年、アーブロース宣言(ローマ教皇ヨハネス22世への書簡文であり、同時にイングランド王国の支配から解放されたスコットランド王国の独立宣言である。)を採択して独立し、1328年にはイングランドとの間に和約を成立させました。宣言はスコットランドが独立国であること、その王はロバート1世であること、そして独立と自由が脅かされたときは団結してこの脅威を除くことを明記しております。

しかしロバートザブルースはこの上記で述べた玉座の石に座ってないのではないかと思います。この石に戴冠式で現英国王チャールズ3世が座ると思うと感慨深くも思います。

皆さま一読ありがとうございました。こころより感謝申しあげます。