「ういろう」のいわれ
9月の休日に神奈川県の小田原市を訪ねました。
観光案内所で「ういろう博物館」が有ると聞き、小田原城から車を5分ほど走らせると、小田原城と見まがうばかりの八棟造りの威風堂々たる建物が見えてきました。
店内に入ると名物のお菓子「ういろう」を始めとした様々なお菓子の他に、なんと薬が販売されています。
店員さんに博物館があると聞いてきたことを告げると、嬉しそうに奥から店主らしき方が勇んで出て来られ、更に奥へと案内されました。
大きな南京錠を開け、明治18年築の蔵に通して頂き、ほの暗い中で「ういろう」のいわれを伺いました。
「ういろう」は漢字で「外郎」と書き、それは外郎家の姓であることから始まります。
外郎家の先祖は中国・元に仕えていた医術に優れていた「陳延祐」です。
当時は「礼部員外郎(れいぶいんがいろう)」という役職にあり、元の滅亡と共に日本に帰化しました。
この「外郎」をとって「外」を「うい」と読ませて「外郎(ういろう)家」が誕生しました。
中国から持参した「霊宝丹(れっぽうたん)」がお香のように良い香りの万病に効く薬として親しまれ、朝廷に珍重されるようになりました。
外郎家二代目はこの薬を日本で作ることで頭角を現し、これが薬の「ういろう」となりました。
また更に二代目は朝廷で外国使節接待に供するためや、外郎薬の口直しに添える菓子を自ら考案しました。
当時黒砂糖は漢方薬として貴重なものでした。
典医であった外郎家は、普通は入手困難な黒砂糖を入手でき、菓子を作ることが出来たのです。
これが今日有名な「ういろう」です(「ういろう」の発祥には諸説あります)。
その後、北条早雲によって小田原に招かれた外郎家が移住する際、京都に菓子の製法を遺してきました。
しかし、室町幕府滅亡と共に京都外郎家は消滅しました。
その時、外郎家に仕えていた職人達が日本各地に移住し、一、二の地方に「ういろう」を伝えたということです。
小田原に移った本家は、薬の「ういろう」を外郎家一子相伝の秘薬として今でも商売を続けています。
写真は買ってみた万能薬「ういろう」です。
中身は仁丹のような形で、一箱141粒入り、1000円で胃腸病によく効くそうです。
お店でお菓子の「ういろう」を購入した時は「有難うございます」でしたが、薬の「ういろう」を買った時は「お大事に」と挨拶されました。
下痢止め薬を肌身離さず通勤されている方、是非試してみてはいかがでしょう。
さて、当社も今年で創業67年目に入り、3年後には70年を迎えようとしています。
来年には松戸市に新社屋の竣工も予定しています。
中国で約1000年、日本で600年続いている「外郎家」にあやかり、これから更に社業発展に寄与していきたいと心を引き締めているところです。