国登録有形文化財「根津記念館」
緊急事態宣言が解除され新型コロナウイルス感染者が減少してきたので、山梨県塩山にある菩提寺に墓参りに行ってきた。
2年ぶりの墓参となるこの日は、コロナウイルスの活動を抑止させているかのごとく、強い日差しが甲斐の山々を眩しく照らしていた。
雑草取りと墓石の清掃で汗をかくほどの暑い日であった。
無沙汰を母に詫びつつ寺を後にした。
山梨県出身の鉄道王と呼ばれた「根津嘉一郎(ねづかいちろう)」ゆかりの屋敷が山梨市にある。
「旧根津家住宅」として主屋、長屋門、土蔵が国登録有形文化財に指定されている。
嘉一郎は1860年(明治元年の8年前)現在の山梨市の豪商の家に生まれ、長兄の死後家督を継ぎ、政治家、実業家として名を残した。
かつては「甲州財閥」と呼ばれた甲斐出身の実業家グループの一人として様々な会社の経営に携わり、東武鉄道、西武鉄道、南海電鉄をはじめとする全国24もの鉄道の経営陣に名を連ねていた。
現在の東武グループの祖である「根津財閥」の創始者であり、現東武鉄道、東武百貨店の社長は嘉一郎の孫がつとめている。
また、古くはビール会社の経営もしていたという。
これは、現サッポロビールの創業者をライバルと見ていたことによるそうだ。
嘉一郎は経営に行き詰った企業を再建させることも積極的に行った。
人からは「ぼろ買い一郎」と呼ばれ、「火中の栗を拾う男」と揶揄されることもあった。
その生家に立ち寄ってみた。
平成15年に根津家の後継者が山梨市に寄贈し、5年をかけて整備された。
太い梁、細かい細工を施してある欄間、大きな床の間、茶室など当時の根津家の隆盛を感じさせる贅沢なつくりである。
中でも2階にある、嘉一郎が使っていた両袖机に見入ってしまった。
今どきの合板ではなく、一枚の木から作られた重厚感のある大型の机である。
ここに座った嘉一郎は傾いた会社をどうやって再建し、どのように成長させるのか、どうすれば長続きする会社になるのか、どうすれば社員の所得を上げられるのかなど考えたのだろう。
私はこの机を見ながら思いを馳せた。
庭園も美しく整備され、珍しい四季折々の花を見ることができる。
訪れた日には「タイワンホトトギス」という珍しい花が咲いていた。
庭には立派な木が数多く植えられており、大きな黒松がひと際目を引く。
これは神奈川県大磯の別荘から移植したほどのもので、枝ぶりも見応えがある。
この屋敷は嘉一郎の山梨での迎賓館としても使われていた。
それゆえ、大きな炊事場があり、いたるところに豪華な装飾品が彩られていた。
東京青山にある「根津美術館」にも数多くの古美術品が展示してある。
そこには、国宝7点、重要文化財87点などが展示され、いかに巨額な財を蓄えていたかが想像できる。
このコロナ禍、色々と制限が課せられ、窮屈な生活を強いられてきた。
したくてもできなかったことが多々ある。
やりたい事は今のうちに実行しておこうと思う。
パンデミックが再拡大する懸念は十分にあるのだから。