杵築(きつき)の城下町
11月、父の住む大分を訪れた。
101歳の父は今年二度、大腿骨を骨折し、一時はこのまま寝たきりの生活になるのではないかと心配した。
そこから奇跡的な回復を見せ退院した。
これまで高齢者の面会が制限されていて、やっと会うことができた。
足元はややおぼつかないのは仕方ないが、一人で歩行するまでになっており安心した。
大正生まれの元海軍軍人であり、頑強な体と精神は健在で、
来年は生まれ故郷の甲斐の国にある恵林寺に墓参したいという。
私の夢は、父が長寿日本一になってTVのニュースに出演することだと本人に伝えている。
それを励みに益々長生きしてほしいと願っている。
大分県杵築市に行った。
杵築城が高台にそびえている。
国東半島南部の別府湾を見下ろす城山台地に築造された。
昭和45年に模擬建築として建てられた天守閣は三層構造になっており、最上階からの360度の展望は絶景である。
遥か遠くには、四国の愛媛県佐田岬を眺めることができる。
守江湾と高山川、八坂川に囲まれた城は、天然の要塞であった。
事実、1586年島津軍の猛攻撃に2か月も耐え抜いた記録も残されており、別名「勝山城」とも呼ばれている。
城内は歴史資料館となっており、城主宮部継潤が1600年佐和山城落城の際、戦利品として持ち帰った、
石田正澄(石田三成の兄)が使ったとされる兜が展示されている。
天保2年(1645年)城主となった松平氏の下で城下町として栄え、
今では日本で唯一「サンドイッチ型城下町」と呼ばれている。
商家の集まる谷町通りを挟み、その南北の高台に武士達が暮らしていたため、
町全体がV字型になっているのでサンドイッチ型と呼ばれている。
坂道が多く、北台にある「酢屋の坂」はかつて坂の下の酢屋の商売が繁盛していたことからその名がついた。
映画「男はつらいよ」や朝ドラ「ぴあの」のロケに使われた。
反対の南台にある「塩屋の坂」も同様に坂下に塩屋(酒屋)があったのでその名がついた。
石畳の階段や坂道、両脇の土壁、石垣は風情があり、
今にも髷を結った武士が歩いてきそうな古き良き街並みである。
北台に多くある武家屋敷は、近年になって持ち主が杵築市に寄贈し一般公開されている。
牡丹の花の飾り瓦の屋根や、どの部屋からも松竹梅が臨める庭園、
藩主のみがお茶を立てる時に使われる井戸があり、土地の権力者の住まいであったことを実感する。
当地の武家屋敷では、門と母屋の玄関に目隠しとなる南国原産の「蘇鉄(そてつ)」を植えることが
ステータスであった。
当時は高価であり、太く大きく育つことが好まれた。
蘇鉄は、木が弱った時に古い鍋や釜などの鉄を根本に埋めると蘇ったことが名前の由来であり、
武運の縁起物としても好まれたのであろう。
城郭や城下町が連なった、江戸時代の名残のある美しく魅力的な場所は、
国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。
次回はゆっくりと散策してみたいと思う。