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渋沢栄一ゆかりの地「深谷」

昨年発行の新一万円札に採用された渋沢栄一の育った地を訪ねた。

渋沢は、1840年(天保11年)埼玉県深谷市の農家の長男として生まれ、今年生誕185年になる。
「日本資本主義の父」と称され、日本銀行の前身「第一国立銀行」創設に尽力し、
日本初の銀行制度の礎を築いた。後に500社もの企業設立や運営に関わり、
東京証券取引所、東京瓦斯、帝国ホテルなど、様々な産業の発展に寄与した。
また、慈善活動や教育の普及にも力を入れた。
女子教育の推進、商法講習所(現一橋大学)設立や赤十字運動の普及、貧困救済活動にも大きく貢献した。

渋沢の幼少期から青年時代を過ごした場所が、深谷市である。
新札発行時には、市内の銀行でいち早く新札を手に入れられるとメディアで取り上げられた街であり、
深谷駅舎は東京駅を模した煉瓦造り風の瀟洒な建物だ。


渋沢の喜寿を記念して建築された「誠之堂(せいしどう)」を訪れた。
もとは世田谷区瀬田にあった第一勧業銀行の保養施設の中に建てられていたものを移築復元した。
大正5年に建造された外観は英国農家を模した煉瓦造りの平屋である。
中国の漢代の貴人を饗応する場面のステンドグラスが窓にはめ込まれ、
大広間の円筒形漆喰天井には、朝鮮風の雲、鶴、寿の文字が配されている。
次の間の天井には、日本の伝統的な網代天井の数寄屋造り様式が見られる等、
東洋的な意匠が多く取り入れられている。
建造7年後の大正12年には関東大震災が発生したが、
煉瓦を縦横に積み上げるフランス式煉瓦積の頑丈に造られた建物はびくともしなかった。


渋沢が23歳まで過ごした「中の家(なかんち)」は養蚕農家屋敷で、令和5年に再整備された。
渋沢のアンドロイドの身振りや語りと共に映像を組み合わせたシアターが設置されていて、
幼少期に学んだ論語やパリ万博を訪れた際の驚きについて知ることができる。
渋沢は、欧州訪問で学んだ株式会社の仕組みを確立させることで、利益を生み出す日本経済の礎を築いた。
それと共に、幼いころから身近にあった論語の教えに則り、
出世や金儲けばかりを追い求める資本主義の世の中を、商業道徳で律することを強く打ち出した。
利益を社会に還元することで、自分だけでなく他人や公を優先し、豊かな社会を築くことを理想とした。

現代の社会では、利潤の追求が第一義となり、社会貢献は二の次になっている。
今こそ、自分の利益だけを考えるだけでなく、相手に尽くすという「利他の心」が大切なのだ。