現代の『米騒動』
【品切れのトイレットペーパー商品棚】
オリンピック開催の年が明け、期待に胸弾ませた正月から早くもふた月が過ぎた。
カルロス・ゴーン氏の国外逃亡、米国のイラン攻撃、豪州の山火事など波乱の幕開けとなった。
更に新型コロナウイルスの急速な世界中への拡散によって、社会不安は増長された。
報道の殆どがこの話題に集中し、発生からの対応に色々な不手際や後手に回る対策に批判が起きている。
一刻も早く終息に向かうような画期的な対応を政府に求めたい。
「桜を見る会」「検事長の定年延長」「大臣、官僚の不適切発言」等々、国民を愚弄するのもほどほどに願いたい。
ウイルス感染も怖いが、異なる不安を庶民が抱いていることを行政はわかっているのだろうか。
観光地、商業施設の利用者減をはじめとして、使い捨てマスクが手に入らないなど庶民生活に必要なものの入手に支障をきたしている。
巷ではマスクを買い求める客同士が流血するほどの殴り合いが起きていたり、買い占めたマスクをネット上で高額で転売し暴利を貪ろうとする輩が多くいたり、はたまた病院職員が在庫していたマスクを盗んで販売していたりという、何とも身勝手な行動をどのように見ているのだろうか。
そればかりではない。
ティッシュペーパー、トイレットペーパーが買い占めによって店頭から消えている。
水曜日(2月26日)には棚に高く積まれていたトイレットペーパーも金曜日には「完売」の表示がされていた。
これも金儲けを狙う輩のネット上でのつぶやきに端を発しているという。
「マスクが無くなると紙の原材料が減る。
するとトイレットペーパーも同じで、紙製品全体に影響が出る」というデマだ。
マスクは不織布から出来ており、他の紙製品に影響はないが、いつの時代にも金を儲けるために悪だくみを考える人間は数多くいる。
1918年に起きた「米騒動」もそのひとつである。
国内の景気が上向き、物価の高騰や庶民の食生活が麦・粟の雑穀食から白米に変わり需要が急速に伸びた。
それに目を付けた豪農や米問屋、商人が売りを控え、価格を吊り上げた。
その年の初めに一石(150㎏)15円だったのが、8月には50円にまで高騰した。
現代で換算するとおよそ10㎏5,000円の米が17,000円になったということ。
怒った民衆は、米問屋や商人の倉庫、港の倉庫で暴動を起こした。
この騒動では警察だけでなく軍隊まで派遣され、死傷者も多数出た。
庶民の暮らしは苦しくなり、政府が「暴利取締令」を発令した。
商品の買い占め、売り惜しみをした者を処罰したが、それほどの効果は上がらなかった。
当時の内閣は責任を取る形で退陣した。
ちなみに「暴利」という言葉は「ぼる」「ぼったくり」「ぼられる」という言葉の由来になっている。
最近では昭和40年代後半のオイルショックで、石油価格高騰による品物の値上がりを懸念し、庶民が我先にと買いに走り、トイレットペーパー、砂糖、洗剤等が店頭から姿を消した。
当時小学生だった私も覚えている。
友達のうちに遊びに行ったところ「うちには紙がないからトイレに行くときはこれを使って」と友達の母親が化粧用高級ティッシュを用意してくれた。
庶民の生活に大きなショックを与えた事件であった。
これも心無い商店が特売広告に「石油高騰による生産減少で紙が無くなる」と謳ったところ、主婦層が敏感に反応し、それを報道した新聞記事により一気に全国に広がった。
高度経済成長期で大量生産、大量消費に慣れていた日本人が物不足の恐怖に直面し簡単にパニックに陥った現象である。
当時も政府が買い占めを自粛するよう呼び掛けたものの効果はなく、他の商品にも波及し落ち着くまでに半年近くかかったといわれている。
買い占めに走った人は、家中トイレットペーパーの段ボールに囲まれた生活を余儀なくされていたという。
あれから50年が経つというのに、歴史から学ばず何故同じことを繰り返すのだろうか。
1990年代の米不足、震災後に発生した買い占め問題。
全てが自分だけのことを考える利己主義が生んだ負の産物である。
今世界中が「自国第一主義」に傾きつつあることと根底は同じである。
世界が危ない。
写真下は、千葉市休日救急診療所に指定された中央区保健所の駐車場。
いつもは、急病人で満車状態だが、この日は空スペースが目立つ。
その隣は、いつもの休みには少年野球・サッカーの子供達でいっぱいなのだが、ウイルス感染を恐れてか誰もいないグランドになっていた。