60歳を前にして
今年、還暦を迎える。
日本人の平均寿命からすると、人生の終焉を考えるのにはいささか早い気もするが葬儀について考えた。
生命保険に加入する時、自分の葬儀代やお墓代くらいは保険金で賄えるようにしたいと思う人も多いだろう。
残された子供に迷惑はかけたくないという親心もあるし、遠い場所のお墓参りに
気を遣わせるのも申し訳なく思う。迷うところだ。
ただ、葬儀やお墓は本当に必要なのだろうかとの疑問もある。
一般的には、葬儀、墓地、墓石に数十万から数百万円、
お寺へのお布施、寄付、お墓の維持費も半永久的にかかってくることになる。
戒名も金額によって変わることや、葬儀のスタイルにランクが存在することにも首をかしげたくなる。
自分が死んだ後に大金をかけるなんてもったいないと思ってしまうのは、おかしいだろうか。
生きているうちに美味しいものを食べたり、旅行でお金を使ったりすることに価値があるのではないか。
最近では、お坊さんをAmazonでお呼びできる「お坊さん便」というサービスや、お墓のマンションみたいなものも普及しているらしい。
自分は日ごろから信心深いとは思わないし、死後の世界をあれこれ心配せず、生まれ変わったら次は何になるかなど気にしないようにしている。
お骨は海に撒いてもらうか、山に埋めて流行りの樹木葬でもよいと考えていた。
ところが、土葬、鳥葬、風葬はもとより、海への散骨も自治体の決めた場所でのみ許されており、自分勝手な思いだけではできないようである。
一方で、宗教を信じている人にとって儀式は大事なものであることは理解しているし、否定するつもりもない。
人の葬儀にも礼を欠くことなく済ませるようにしているし、今後も変わることはない。
あれこれ考えるが、いつも結論を出せずにやめてしまうのだ。
そこに先日ある葬儀社から一本の営業電話があった。生前に自分の葬儀の内容や予算をある程度決めて、代金の支払いを済ませておけば良いというものである。
これなら安心して死ねるのではないかと考えた。生前に決めておけば、その時になって家族が慌てることなく、お金の心配もさせることがないので、
メンバーになっておこうかと色々比べているところだ。
だが、葬儀やお墓のことは、実際にはなかなか自分一人では決められない部分もある。残された家族、兄弟、親戚の考えもあるだろう。
少しでも後に負担を強いないようにするための目安にでもなればと思っている。
「60にして耳順う」と孔子の言葉がある。
人の意見に反発を感じず、素直に耳を傾けられるようになるという意味である。年齢を重ねると頑固になると云う。
自分ではそんなつもりはないのだが、知らず知らずのうちに心の鎧を幾重にも堅固にしてしまうのだろう。
色々な意見を幅広く取り入れ、社業を発展させていきたい。